自然農とは、畑を耕さず、肥料、農薬を使わず、草や虫を敵にすることのない自然の営みに沿った農業のあり方です。
さらに自然農は、野菜などの農作物を育てる際に起こるさまざまな出来事に対する向き合い方、また自然界と生命界のあり方をも私たちに問うています。

自然農の第一人者で、40年以上自然農を実践されていた方が、令和5年(2023年) 6月にお亡くなりになられた川口由一(かわぐち よしかず)氏です。
川口氏は、昭和14(1939)年5月2日に奈良県桜井市の農家の長男として二男三女の長男として生を受けました。幼い頃に父親を亡くし、家族を養うために中学を卒業後に就農。16歳で農家を継ぐことになり、当初は手作業で昔ながらの農業を営んでいました。ほどなくして時代の流れは農薬、化学肥料や除草剤を使い、さらに機械化した農業となっていきます。

特に戦後の近代農業では、食料増産という名目で農薬と化学肥料を使用することを奨励され、それは現在も多くの慣行農業を経営する農家にとっては当り前の認識となっています。
また効率性や規模を拡大するには、高額な農業用機械を多額の借金をして買わなければなりません。

川口氏はそのような農業を続けるうちにとうとう心身の健康を損なってしまいます。

また当時、川口氏は朝日新聞で連載されていた、有吉佐和子の『複合汚染』を読み、自分が取り組んでいた農業に衝撃を受けます。

その内容は、農薬や化学肥料の使用による生態系への悪影響、工場から垂れ流される工業廃水による河川や海洋汚染、界面活性を含む洗剤使用による人体や生態系への影響、合成保存料や合成着色料などの食品添加物を摂取することによる人体への危険性など、複合的に絡み合う環境問題について社会に警鐘を鳴らすものでした。

そんななか川口由一氏は命の営みに任せ自然の理にかなった農業を模索し続けます。近代農業のあり方を根本から問い直すことによって、1970年代半ばから川口氏が実践された農への取り組みが自然農の始まりです。

自然農では「耕さない」「肥料・農薬を用いない」「草や虫を敵としない」という三つの原則がありますが、なぜ川口氏はあえて農法とは言わなかったのでしょう?

川口氏が自身の農のあり方を「自然農法」と呼ばずに「自然農」とした理由は、自然の営みに沿う農のあり方があるだけで、決まった農法があるわけではない、という考え方に基づいているからです。

技術的な面でいうと、自然農は、不耕起、雑草草生(雑草などをあえて生やす)を基本としています。より自然の森や草原に近い環境を畑につくりだすということです。

その結果、自然農の畑は作物と共に、雑草も生い茂り緑豊かなビオトープ(生物空間)となります。
もちろん農薬や化学肥料なども使わないため、虫たちや微生物たちの命の循環が生まれます。
自然に任せていれば、必ず生命たちの力(土壌微生物等)で耕さなくても土は柔らかくなり、化学肥料を使わずとも土壌はしだいに豊かになっていきます。

田畑に撒かれた農薬や肥料などの化学物質は、作物に残留し、土中に染み込み、地下水や河川の汚染の原因となります。
また農薬、化学肥料や大型機械を製造したり輸送するためには多くのエネルギーを消費します。
その一方で自然農はそういった農薬、化学肥料や大型農業機械を必要としません。
そのため自然農は持続可能な農業として、人にも環境にもやさしい、これからの時代に合った農業の一つと言えるでしょう。